第1号 平成24年1月20日
●幸せの度合い
90歳になる私の母が口説きます。「あ〜あ、銀杏の実ってもっとうんまいもんだったけど、これはな〜も味がしない、へんだねえ。」母には子供のころ、秋になると黄金色に熟した銀杏の実を争って拾い集めた思い出があります。自然の恵みを集めておいしくいただいた格別の思い出です。「それからお正月までを本当に指折り数えたんだわね。正月になるとさ、年に一度だけ、塩鮭の焼いたものが一切、めいめいのお皿に載ったんだよ。本物の塩鮭だよ。」日ごろ、貧しくてほとんどタンパク質など食べられなかった田舎の昔でも、お正月には精一杯の支度をして新年を祝ったのですね。それが子供たちにとってどんなに待ち遠しく、楽しいものだったでしょう。
今私たちは本当に豊かになりました。毎日の食卓にはお肉や魚がふんだんに並び、食べたければいつでもクリームがたっぷり入ったおいしいケーキを食べられます。子供たちのお年玉は何と、〜万円にまでなったとか言われます。便利で暮らしやすく、なんでもいつでも手に入りますね。でもこんなに良くなったのに、どうも私たちの幸せ度は増していないのではないか、と思わされるのです。私の母が言うところの“うんまいものを食いすぎて、昔のうんまい味が消えてしまった”現象ですね。これじゃあ豊かになったことがかえって、私たちの小さな幸せを奪ったことになります。この計算違いはどうして起こってしまったのでしょう?
「幸せになろうと思って、こんなに一生懸命働いてきた。でもなんだか頑張っていたあの頃の方が、今より物はなかったけども充実していたなあ。あのころの方が生きがいも夢もあったなあ。」人間は、“豊かになれば必ず幸せになれる”と言うほど簡単な生き物ではないようです。“豊かさの中身”が問題だという主張があります。物の豊かさには限界があるし、他人と比べると問題も起こるので、心の豊かさを追い求めるべきだ、と。ひょっとしたら夢を追うと言うプロセスに重要な意味があるのかもしれませんね。人は、夢や目標があるととても頑張れます。
一つだけはっきりと言えるのは、物にしろ心にしろ、豊かさを求めて努力する中に、私たちが決して忘れてはならないことがあると言うことです。
それは“感謝すること”。
1、生きて努力できる自分の命に感謝する。
2、「この人のために」と思う家族がいることに感謝する。
3、戦争もなく、安全な社会で努力できる環境に感謝する。
この何でもなく見える、感謝という心の持ちようが、実は私たちの幸せに深く関係していると思われるのです。
命、家族、安全な社会。どれ一つとってもただで私に与えられているのは偶然ではないでしょう。親、先人の努力があって始めて私たちに与えられたものです。こんな恵まれた自分であることにまず感謝する。そこからは、希望と発展が見えてきます。
●家族の在り方 同居/別居? その1
長年できなかった子供を授かった私たち夫婦は二ュージャージーのアパートを出て、故郷上越に帰ってまいりました。生れた子の顔を見て、最初に考えたのが「この子をおじいちゃん、おばあちゃんのそばで育ててあげたい。」と言うことでした。同居と言っても、実の親子なのでうまく暮らせるのは当たり前…と思って帰ってきた私ですが、とんでもない思い違いでした。掃除の仕方から寝起きの時間、台所で捨てるごみの内容まで最初の三年間は母とのバトルの連続でした。「この家から出ていけ!」「出てってやる!」六年たった今もバトルは続いています。さらに最近は、少々回転の遅くなったおじいちゃんおばあちゃんに、息子が口答えをし始めました。なかなか思い描いた通りにはいかないものです。
でも日ごろもめごとが絶えなかったとしても、いざと言うときにこんなに助け合うことができる共同体は他にあるでしょうか。大震災で多くの方が体験された悲劇を考えても、「家族がいるってありがたいことだ。」とつくづく思わされるのです。
若いカップルで先行き不安で結婚に踏み切れない場合、親御さんに協力してもらい、一緒に子育てをするのは最も自然で、生まれる子供にとってもありがたいことではないでしょうか。親たちからは受けられない特別な愛情を祖父母は持っています。もちろん同居はそれほど簡単ではないですから、同居に際しての様々な支援、じじばば講座、夫婦講座、愛される婿の講座、愛される嫁の講座などを開いてゆくことを計画する必要があります。どこまで手伝うか、どこは相手の縄張りを尊重するか…、あらかじめ勉強して準備することで摩擦を少なくしていけると思います。
さて同居生活が円熟してくると、今度は子育て同居から、介護同居へと進展していきます。そしてもっぱら介護の責任のかかってくるのが私たち女性です。では介護同居の場合、どんな点がうまくゆくカギでしょうか。介護施設はどう利用していくべきでしょうか。
次回は介護同居の課題について考えます。